価値観と当事者

たまにはまじめに。


ここ10年以上思っているのだけど
毎回、経済を考えてるとどうしても宗教学へと行く。
マルチやナントカ学会なんてのもそうで、
心の底から信じて、ただの壺も購入者が心から精神的に
幸せになれているならば、それはその人にとって立派な
買い物なのだろうと。一般的な根拠はないけど期待だったり
希望だったりという物も一緒に買っているんだろうな。
そう言うと怪しい話全開なのに、安倍政権になって期待値
だけで株価が上がっているってのも、一種の期待感での
買い物だし。その経済効果が非常に大きいのは今回の所で
わかってるもの。
結局壺購入した当事者と一般論を語る周りとの価値観の違い。
"買いたい"と思う気持ちがお金を動かすのです。と。

また、ブータン国の幸福だって、清貧を実感しているから
少ないお金ややれない事が多くても幸せだと思える。
日本では表面的に話題になってたけど真似は出来ないと思う。
昨今、当事者でもないのに人を悪く言って叩く事が面白いと
思っている人が多く炎上なんてのもその一つ。
そんな所に清貧なんて真逆ですよ。



まぁ、何でそんな話を急に思ったのかというと、
500円でソーシャルゲームのカードイラストを描いてと
いう話が出てて、絵描きでもないし依頼もされてない人達が
ガンガンにTwitterのRTで回して悪の企業見つけた的な
書込みに勤しんでいるのをみて、悲しくなったのです。
企業は500円で書いてくれる人居ない?って言ってる分けで
強制的に、その仕事500円ねって描かせててる訳じゃ無い。

確かに破格すぎる安さだし、描く人は別な所に価値を持ってる
人だろうなと思うのだけど、それにしても受けもしないのに
悪の企業は潰せみたいな流れは、見てて痛々しいなと。

プロならば30分で原画から彩色までこなせるレベルの絵を
500円として上げるかもしれない。
時給相場に見合ったものを上げて企業がレベルに達してない
ならばその話は無かったことに成るだけだ。
もちろん企業が500円保証をするかどうかはまた別な話だけど。



おばあちゃんがよく言うように、
「人様の事をあまり悪く言うもんじゃないよ」
というセリフを思い出してしまい心がちょっと痛くなります。